■イスラームと現代世界編 第10回
「生活の中のイスラーム−1−」
1.イスラーム教徒はイスラーム法の中で生活する
イスラーム教はキリスト教のように聖と俗を区別しない宗教であるから、教徒の日常生活そのものは「アッラーの律法」の下で営まれることになる。それゆえ教徒の住む環境が問題となる。イスラーム教が国教となっている国では、教徒の生活はほぼ100%「アッラーの律法」の中で生活を営むことができる。すなわちアッラーとの契約を完全に履行することができるから原則的に問題はない。しかし政府がイスラーム教から離れ始める時代、俗に近代的国家の時代という政教分離の時代を迎えると、国法からイスラーム法的色彩が薄められ、教徒は十分な環境の中で生活ができなくなり、アッラーとの契約を尊守することが難しくなる。アッラーとの契約を履行することが出来ないということは来世においてアッラーの祝福を受けられないということになり、イスラーム教徒にとって重大な問題となる。これがイスラーム運動発生の起因を生みだすこととなる。
アラブ世界ではイスラーム教を国教と規定している国は多い。当然のことながらイランやサウディアラビアはイスラームを国教としている国であるが、社会主義国家という名を国名に入れている国においてもイスラーム教を国教としている。このような国において国事はすべてイスラーム法の下で決定される。
宗教による法がすべての規範の基礎にあるとする国は何もイスラーム世界ばかりではない。イスラエルはユダヤ教の規範を国法とする国家であり、あらゆることがユダヤ律法で決定する国である。たとえばユダヤ教では「聖なる日」すなわちキリスト教の言う日曜日を「金曜日の日没から土曜日の日没まで」とされ、新たに生みだすことが禁止されている。旅行も出来ず、商売も出来ず、食事すらも新たに作ることが禁じられているから、前の日の食事を食することとなる。日本で言えば残り物をたべると言うことになる。この日、ホテルに泊まると悲劇的となることは言うまでもない。面白いのはこの聖なる日にホテルの会計も閉鎖される。よって土曜日の朝チエック・アウトする時には期待で胸が膨らむ。ひょっとすると支払は無用であると考えるからだ。だがユダヤ人は歴史の中に名を残す商売人である。泊まり客をただで送り出すなど考えられない。そのため隔離された小部屋が用意されている。この電話ボックスにも似た部屋は隣室との間に人間の手が入る小さな窓口が開けられている。そこに一人で入ると、ホテルの会計係りが小さな窓口から請求書を掴んだ手をにゅうーと眼前に差し出してくる。客はその手に金を渡し宿泊料の精算をすます。この奇妙なやりとりの場こそ、難解な宗教の本を多く読むより、より早くこの種の宗教を理解させてくれる魔法の部屋とも言えるものであるが、こうまでもして彼らは律法を守ろうとするのである。もっともユダヤ民族が国の再建に高い情熱を注いだのはユダヤの律法を完全に守れる環境を作ることを切望したからである。それゆえ些細なことでも無視することはできないのだ。かって聖なる日の律法に違反して内閣が総辞職するという事件を引き起こしたことがあるが、日本から見れば馬鹿らしいことであると見られよう。しかしそれがユダヤ・イスラエル国家なのである。
これに対してイスラーム世界はユダヤ教世界のように厳格な世界ではない。それゆえ寛大な宗教と言われるのであるが、それでも日本の宗教感覚から見れば、馬鹿げているほど律法的であり排他的である。すべての生活を規定し、アッラーの下においてその法を尊守することを使命とするイスラーム教。教徒の日常生活こそアッラーも命じたものが具象化されたものである。
2.イスラーム教徒の一生
A.誕生から修学まで
イスラーム教徒の両親から生まれた子供は最初の言葉として聞かされるのが「シャハーダ」と言われるものである。「アッラー以外に神はなし。ムハンマドはアッラーの使徒なり」という言葉である。この言葉は異教徒がイスラーム教に改宗するときも使われる言葉であり、日本では「信仰の告白」とも訳される「宣誓の言葉」であり、イスラーム教の基本の基本ともいわれるサウディアラビアの国旗はこの言葉が旗一面に書かれている。
この言葉が最初に聞かされる言葉であり、生まれた子供はこの言葉を聞くことによりイスラーム教徒となる。幼児期にはいると子供はクラーンの一節を暗唱させられたり、礼拝の仕方をゆっくりと学ぶ。言葉が少し喋れるようになるとクラーンの全章を暗唱させる両親も現れ、親は出来るだけ真面目なイスラーム教徒として育てようとする。それは親のイスラームに対する信仰を具象化するものである。子供はこうしてイスラーム教徒となり幼児期を過ごすことになるが、この時期を代表する儀式に割礼がある。
割礼は古代よりこの世界に伝わる慣習でイスラーム教がもたらしたものではない。日本人はイスラーム教が割礼をもたらしたと思っている人が多いようであるがそれは間違いである。この習慣は原則的にイスラーム教と関係のないそれ以前からの習慣としてこの世界を代表するものである。割礼はユダヤ教徒にとっても重要な慣習であり、恐らくキリストも割礼をしていたものと思われる。今から五千年前の古代エジプト王朝の遺跡が残り有名な階段ピラミッドがあるサッカーラの遺跡の中に「ドクトールの墓」と言われる墓がある。その墳墓の壁画にこの男子割礼の図が書かれているるから相当古くからこの習慣は宗教を越えて存在していたようだ。ちなみにイスラーム教の聖典クラーンにはこの割礼に関する規定はなく、イスラーム教と割礼は律法によるものであるというよりもイスラーム以前からの習慣として残されたものであろう。この問題に対するイスラーム世界の解釈はさまざまに分れ統一された見解は定まってはいないが、違法ではないと言う点で同意されているだ。
この習慣は小学校を出るまでに男女とも行われ、子供から成人への衣替えともいう意味合いを持ち、無事終えた子供たちは近所、親戚から盛大なお祝いを受ける。割礼の場所は医院、自宅、礼拝所等々で定まってはいない。割礼が行われる時に関しても特に規定はない。このように場所と時に関して全く規定がないことからもイスラーム教との法的関係は薄いと考えられよう。よって居住地域の伝統、家風がこれを決定している大きな要因となっていりといえるであろう。ただセム民族の見識からすると割礼を成すことはアブラハムの信仰を維持することにあると考えられている。よって割礼こそ、ユダヤ教、イスラーム教の源泉の残存であり、絆であるともいえるものであるかもしれない。イスラーム教の中で割礼を最重要視する集団が現れるのはこのためであろうかと思われる。
さて学校にはいると普通の授業のほかにイスラーム教に関する教育が行われる。この宗教の時間は高校まで続くが時には大学まで継続される場合がある。教育はあらゆる面にわたり行われ相当深いイスラームに関する知識を学ぶことになる。これにより子供の道徳心を育て倫理規定は形成され、独特な世界観が育まれることとなる。宗教の勉強は普通の勉強とはことなりイスラーム教の定義を学ぶことである。イスラーム教徒として正しく生きるにはどうすればよいか。どのような生活を送ることが正しいイスラーム教徒として義つけられているかということを学のである。よって一方的な学習が行われる。批判、他宗教との比較等の視点は不必要であり、そこにあるのはただただ暗記だけがその効果的な学習方法となる。
わたしがエジプトで学んでいたとき、その試験の中に次のような問題があった。「世界で一番美しいマスジット(礼拝所)はどこのマスジットか」と言う問題であった。ちなみにこれは小学校低学年の試験である。この答として私は「それはインドのタージマハールである」と書いた。タージマハールの美しさは世界に類を見ないものであることは多くの人が認めているところである。当然合格し、進級することになろうと安心して試験を終えた。その私を襲ったのは落第であった。この正しい答えは私の学んでいた学校に付属している礼拝所の名でなければならないということを後に知った。
「アズハルの礼拝所(ジャーミヤ・トル・アズハル)」それが正式の答えでありインドのタージマハールではなかったのである。このアズハル礼拝所はナポレオンがエジプトに侵入したとき馬小屋に使つたといわれる場所である。たしかに由緒ある礼拝所ではあるが義理にも美しい建物とはいえない。ましてやタージマハールとは比べようもない礼拝所である。しかしアズハル大学の見解は「世界一美しい礼拝所」であるのだ。これが宗教的に正しい見解と言うものである。ちなみにイスラーム世界には比較宗教学という学問は馴染みのない学問であり、その講座を持っている大学は少ない。すなわち宗教学の勉強とは正しいイスラーム教徒になることであり、いかにイスラーム教徒として生きて生くかということを学ぶことであり、イスラーム法解釈をある程度こなせるようになることである。このような教育を小学校から大学まで普通の学問と平行して学ぶのである。
もし学校に満足に行けない者は近くの礼拝所にいけばイスラーム教に関する知識を持ったものが親切に教えてくれる。時には高名な大学教授も礼拝に来たついでに子供達に教えている。子供達はこの礼拝所で読み書きはもちろんのことイスラーム教に関するさまざまな知識を得るのだ。もちろん教師が授業料を取るということもない。
知識を持っている者が子供達を教えるという考えはイスラーム世界を特長つけるものであるが、そのような光景は至る所で見られる。かってサウディアラビアのメッカにある世界イスラーム連盟の事務局長とお会いしたことがある。彼の広い職務室に入っていくとそこに子供達が20人近く彼の机の周りにたむろしていた。何でこのようなところに子供がいるのか不思議に思ったが、彼は少しの暇を見ては子供達に読み書きを教えているのであった。子供達は我々が話している間も際限なく間に割り込み、手ほどきを受け、また老人も面倒がらずに親切に教えている。この子供達は高官の子供達かと思っていたらそうではなく近所の子供達であった。当時連盟の事務局長は大臣に匹敵する要職であり、国王と直結するパイプをもっていた。その人が世界から訪れるイスラーム教徒の代表と連日会談を持つわけであるが、同じ部屋で話の合間に、あるいは話をしながら近所の子供達に読み書きを教えている姿は、預言者時代を彷彿させるものであった。このような形でイスラーム教の教育は行われ、良いイスラーム教徒の育成が行われるのである。
国教がイスラーム教であるならば公立学校はすべてイスラーム教の教育講座が設けられるているから、エジプト人であろうが、シリア人であろうがその前にイスラー教徒としての自覚は立派に身に付くことになる。
B.婚約、結婚そして葬儀
さてこのようにして学業を終えると次に待っているのは結婚である。この世界に住む人間にとって最も重要な問題がこの結婚である。イスラーム教徒の結婚はイスラーム法に準じて行われるが血の純潔を尊ぶこの世界では、男女七才にして席を同じゅうせずの教えと似て、男女の関係は厳しい監視の下に置かれる。男女の交際は姻戚以外はご法度でありタブーともいえるものである。もしこの禁を破る若者がいたならばそれは一族の恥として糾弾され時には親が子を手にかけることがある。クラーンでも男女の関係、夫婦の関係を規定している箇所が随所に出てくるが、それはイスラーム以前から会った血の純潔を彷彿させるものである。
法を尊守するためには血の純潔が具備して初めて成されるという考えは、イスラーム教ばかりかこの地のの宗教に共通してみられるものであるが、それが人間関係に及んだとしても不思議ではない。よって男女の問題はその家の血統の評価にも及ぶこととなる。それゆえみだりに男女の交際を広げると個人ばかりか一族全体に及ぶこととなる。原則としてイスラーム世界では正式な婚約が成立しない男女の交際は認められていない。もしその禁を破ると、その一族全部に淫乱の血が流れているとの評価がなされ、イスラーム教徒として相応しくない集団であると判断される。よって男女交際は最も気の使う問題となる。イスラーム教世界では結婚に親が大きな権限を持つ。息子の嫁を決定するにおいても、娘の婿を決定するのおいても親の承諾が必要であり、親が許可しない結婚は存在しない。特に娘の場会、娘の意見よりも親の意見が大きな権限を持つのが普通で、結婚の契約も嫁の親と婿の間で結ばれるのである。しかいいくら親が気に入ったからといって娘が反対した場合には婚約は成立しない。
このよう結婚を前提とする婚約はその最初から親が深く介入してくるのがこの世界の特長であるが、婚約成立した場合、政府がそれを承認し正式になる。人によってはそれを新聞に発表する人もいる。世間の人に正式に婚約した仲であることを知らせるためだ。イスラーム世界には風紀警察というのが街中を私服で巡察し、男女二人で歩いていたりお茶を飲んだりするとチエツクする制度がある。風紀の乱れを阻止するということから出た制度であるが、これに摘発されることは大きなトラブルのもととなる。そこで正式に婚約した者たちとそうでないものとの区別をすることが必要となる。それを政府が承認することで解決しようと考え出されたものであると思われる。この風紀警察の質問にあった時、互いの身分証明書の婚約者の欄に互いの名前があれば問題はない。もっともイスラーム世界での婚約中のデートにも両家の家族がついてくるからめったにこのような質問を受けることはないが、二人だけの場合、有効に作用する。
このように厳しいイスラーム的環境の中で婚約、結婚と進み一家をなすわけであり子供を育て同じような教育をほどこし最後の段階を迎える。
イスラーム教の葬式は日のあるうちに死者に最後のクラーンを聞かせ墓地に埋葬するだけである。埋葬は顔をメッカの方向に向かせて寝せるのが原則であり、それぞれの地方によって埋葬方法には特色がある。遊牧的色彩の強い地方では墓はあまり重要視されず、時には埋葬したところすら不明になる。しかし定着文化を持っていた地方では、墓は立派に立てられ、墓参りが頻繁に行なわれる。エジプトやシリア、イラクなどはこの種の傾向を強くもつ国である。
以上がイスラーム教徒の大雑把な一生である。彼らは死んで後、最後の審判が下る日を待つ。来世の世界に生きることが永遠の望みであり、それを待つこととなる。